ネット社会に惑わされないために

ネット社会に惑わされないために

梅田 拓也

学芸学部 メディア創造学科 助教

#4 ネット上の仮想空間は社会を変えるのか?【梅田 拓也】

最近、「メタバース」と呼ばれる、インターネット上に構築された仮想空間が話題になっています。このような新しいサービスは、私たちの日常のあり方を変えてしまうのでしょうか。情報技術の発展により変化し続ける社会に、私たちはどう向き合うべきなのでしょうか。最終回では、これからの技術との付き合い方について考えます。

/ 14分10秒

今すぐ聴く

各ポッドキャストで聴く

Transcript

川添 前回に引き続き、「ネット社会に惑わされないために」をテーマにお話をお伺いするのは、学芸学部 メディア創造学科 助教でメディア研究と技術哲学がご専門の梅田拓也先生です。本日もここ京都にあります同志社女子大学のキャンパス内からお送りしていきます。それでは先生よろしくお願いいたします。

梅田 よろしくお願いいたします。

川添 今回いよいよ最終回になりました。今日はネット社会、ネット上の仮想空間を取り上げて、お話を伺っていきたいと思います。仮想空間といいますと、最近よく耳にするのは、まずメタバースというところなんですが。また「わかりません」っていうところから、すみません、お話を入らせていただくんですけれども。まずメタバースについて教えていただけますでしょうか。

梅田 メタバースはコンピュータグラフィックス、3Dのコンピュータグラフィックスの技術を使って、コンピュータあるいはネットワーク上に構築された仮想空間のことをさします。そういう仮想空間を使って、いろんなイベントをやったりゲームをやってみたり、会議とかをやってみたりっていうことが、めざしているものかなと思います。ただこういう考え方自体は、コンピュータで画像とか音声とか、人間の知覚をシミュレーションできるっていう可能性が出てきた時点で、コンピュータ上に仮想の世界を作っていくようなアイディア自体はあったんです。

実はすごく古くてメタバースっていう言葉自体も、元々は1992年のニール・スティーヴンスンというSF小説家が書いた『スノウ・クラッシュ』っていう作品の中で出てきた言葉に由来しています。

川添さんもいくつか思いつくかと思うんですけど、仮想空間を舞台にした小説とかそういうものって、すごくたくさんありますよね。アニメでいうと『ソードアート・オンライン』とか『名探偵コナン』の映画版にもそんな話があったかなと思いますけど…。どうしてそんな古くからある考え方が、今話題になっているのかが気になるところですが、これは多分、技術的な環境が変わったっていうのが大きいかなと。

そういう仮想空間みたいなことが言われ始めた時代と比べると、ネット回線とかサーバーとか、あるいは手元の端末とかの処理性能がすごく上がっていて、複数の人が同時にネットワークに接続しながら、コンピュータグラフィックスをどう同期して処理するかということができるようになった。

川添 なるほど。

梅田 Meta Questみたいな、性能のいいVRヘッドセットを頭につけてVRを見るみたいな、ああいうのが安く流通するようになった。だから単なる空想に過ぎなかったものが今、インターネットを使って実際にやれることがわかってきたので、ずっと昔からある考え方が今ここで実現されている、と。夢のある話ですね。

川添 そうですね。あと、コロナの状況で人がなかなか集まりにくいということも、仮想空間、メタバースというものが軒並み言われるようになってきた要因のひとつにあるのかなっていうふうに、今聞いててふと思ったんですけど。

梅田 そうですね。みんな他の人と出会えないっていう状況だからこそ、Zoomとかで出会おう、出会ってZoom飲み会みたいなのが流行ったりしました。

川添 そうですね。

梅田 今までコンピュータ上でメールを飛ばしたり、チャットをしたりするというのは、現実にやっているコミュニケーションの代わりっていう感じがしていましたけど、(今の仮想空間は)どんどん代わりじゃなくて、ネット上でのコミュニケーションは私たちが話すときの普通の方法というか、普通のコミュニケーションになりつつあるなという感じが、メタバースという言葉からも感じられますね。

川添 ライブを三つの仮想空間上でやって、行きたい人は(それぞれの仮想空間に)集ってというのもニュースとかで見たことありますね。

梅田 そうですね。他方で新しいコミュニケーションのあり方なので、これまでの対面のコミュニケーションだったり、メールとかSNSみたいなテキストベース、画像ベースのコミュニケーションとはまた違う大きな問題が出てくるかもということは、話題になります。例えばメタバース上のアバターにおけるジェンダーの問題。かわいい女の子のキャラクターを使ったりだとか、それに対して性的な嫌がらせをしたりだとか、そういうのが問題になったりしてて。一見新しい問題のように見えるんですけど、実は古い問題でもあるわけです。新しいコミュニケーションの中に社会的な問題が出てきてるっていうのも、もう一つの側面かなと思います。

川添 実社会の古くからある問題と全く同じという感じですね。

梅田 そうですね。

川添 なるほど。メタバースもそうですし、前回までにお話を伺ってきたようなSNSだったりとか、あとはAIだったりとか、そういう新しい技術って、素人が日常生活を送っている中では、新しいものイコール最先端だし、仕組みがわからないから、何かちょっと近寄りがたいなっていうふうに思っていって。

そういうものが好きな方だったり、興味があれば、どんどんその分野に乗り込んでいったり、接していったりできるんだけれど。私なんかもそうなんですが、「新しすぎてちょっと難しそうだし、もうちょっと様子を見ようか」とか、「難しそうだから、そもそもちょっと近寄れないな」だったり、そういう印象を今すごく持っていて、なかなか足を踏み出せない。どういうところが良い点で、どういうふうに利用していったらいいのかなっていうのが、なかなかわからないというのを今感じてます。

梅田 そうですね。僕がずっと思っていたのは、新しいっていう言葉に惑わされないことが一番大事かなと思います。ここまでの4回全てに共通する点なんですが、プログラミング教育にしても、人工知能にしても今回のメタバースにしても、新しい技術を使ったビジネスを広げるために、やっぱり実態以上に大きな存在として描かれている節があるかなと思います。特にメタバースはその最たるもので、こういうふうに技術的に可能になる以前から、小説とか漫画とか映画の中で描かれてきた仮想空間みたいなもののイメージがあって、「仮想空間ができるようになったよ」というときに、そのイメージが入り込むことで、何か実際にやってることよりも、より激変しているような、すごく大きく変わってしまうかのように見えてしまっている側面があるんじゃないかなと。

そういうのって、僕は必要なことだと思うんです。つまり、その技術を開発するためにはお金が必要なので、お金を集めるためにその技術を、新しいものを“すごいもの”と見せかけることで投機的にお金を集めてくるっていう動きなんだろうなと。

川添 いわゆる、PRをしないといけないということですよね。

梅田 そうですよね。そうしないと広まっていかないので。でもそればっかりだと、実際今の技術的な状況で何ができるのかとか、それによって私たちの生活がどう変わってしまうのかとか、あるいは変わらないのかみたいなことの議論は見えにくくなって、どんどん「新しい、すごい」「新しい、すごい」っていうのが繰り返されるだけになってしまう。だから川添さんも含むリスナーの皆さんにも言いたいのは、そんなにビビらなくていいと思う。

川添 (笑)そうですか。

梅田 実態はそこまで新しいものじゃない可能性があるっていうことを、常に頭の中に置いておくといいんじゃないかなと思います。

川添 新しいものということに振り回されないっていうか、「新しいものでこんなすごいことができて、こんなふうに便利になって」っていうことに、過度に期待をしないというのか、期待はしてもいいのかもしれないけれども、その前提としてなんでそういうものが生み出されたのかとか、そのあたりのところも受ける側が知ろうとするというか、そういう視点はすごく必要なのかなっていうところですかね。

梅田 そうですね。繰り返しになるかもしれないんですが、4回通して僕が言いたかったことが実は二つあって、まず一つは、今言ったことなんですが、「新しい技術が何か大きく変える」っていう言葉に慎重になってほしい。そういうものの背後に、実は技術的な問題だったり、私たちの生き方だったり、そういった問題が新しさというものによって塗りつぶされている可能性があるので。新しいという言葉、新しいもの、新しい技術っていうことに慎重になってほしいなと。

もう一つは仮に新しい技術が私たちの生活を変えることがあるとすれば、そこで問題になるのは、新しい技術そのものじゃなくて、私たちの生活の背後にある、古くからある考え方のほうだと思うんですね。

川添 前回おっしゃった古い価値観とか、そういうものですか。

梅田 そうですね。人工知能が出てきたときに、著作権とかオリジナリティとか芸術っていう古い考え方が問題になったり、プログラミング教育が問題になったときに、それは国語とか数学みたいな古い教育のあり方が問い直されたり、今回のメタバースでいえばコミュニケーション、私たちが日常的にやってる会話とかは何なのかっていう、それまで僕たちが持ってきた考え方のほうが揺れ動かされていると。

だから技術が私たちの生活とか仕事とか、そういうものをどう変えていくのかっていうことを議論するときに、(あわせて)議論しないといけないのは、多分日常生活、私たちが古くから知ってる考え方のほうだと思います。

最後に僕の専門っぽいことを言っておくと、マルティン・ハイデガーというドイツの哲学者が言ったことで、「技術の本質は技術的ではない」と。

川添 技術の本質は技術的ではない。

梅田 僕らは技術っていうときに、すごく複雑な機械とかプログラミングとかを考えがちですけど、それが私たちと結んでいる関係を考えること自体は、実は技術的なものではない、ということだと思うんです。それをちょっと胸に置いて、新聞とかに新しいものが流れてきたときに、今問うべきことは何なのかっていうのを、捉え返す必要があるんじゃないかなと思います。

川添 ありがとうございます。私たちも冷静に見るっていうこと、この姿勢忘れないようにしたいなと思います。ありがとうございます。これまで4回にわたって「ネット社会に惑わされないために」をテーマに、梅田拓也先生にお話をお伺いしてきました。

梅田先生、どうもありがとうございました。

梅田 ありがとうございました。