感性を育む親子のものづくり

感性を育む親子のものづくり

竹井 史

現代社会学部 現代こども学科 教授

#3 子どもが描く“いい絵”とは?【竹井 史】

保育園や幼稚園、小学校の壁に飾られている絵を見て、「うちの子の絵、これで大丈夫?」と不安になることも。では “いい絵”の定義とは? 子どもが描く絵画の世界と、そこにどう寄り添えばよいか、保護者ができることをお聞きしました。

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Transcript

川添 前回に引き続き、「感性を育む親子のものづくり」をテーマにお話を伺いするのは、現代社会学部現代こども学科の教授で美術教育学がご専門の竹井史先生です。本日もここ京都にあります同志社女子大学のキャンパス内からお送りしていきます。では先生、よろしくお願いいたします。

竹井 はい、よろしくお願いいたします。

川添 前回は親子での工作をテーマにお話をお聞きしましたけれども、今回は絵にクローズアップをしてお話を伺っていきたいなと。

竹井 これ、悩まれる方が多いんですよね。

川添 はい。絵は私も工作と同様(2人笑)、非常に苦手っていうところからお話が始まるんですけれども。

竹井 (川添さんの)お子さんはどうですか。

川添 子どもは、好きではあるのかなと思います。

竹井 それは良かったじゃないですか。

川添 ただ上手な絵とか、下手な絵とか。親目線で…例えば保育園で、ほかの園児さんの絵を見たりしたとき、同じクラスの子の絵を見たりしたときに、「あれ、うちの子と全然違うテイストの絵を描いている。うちの子は描いてないような、人型もちゃんとした絵を描いているな」とか。ちょっとうちの子はどうなのかな、みたいなふうに思ったりとかすることもあったりするんですけど。

竹井 なるほど。

川添 何かそういう評価って言ったら変ですけど、やっぱりいい絵、悪い絵みたいなのがあったりするんですかね。

竹井 これね、ものすごく保護者の方も、幼児教育の先生方も悩まれるんです。(園の壁などに)貼っていくと横並びに友達の絵の作品が並ぶじゃないですか。そうすると、どうしたって比較するような感じで。それで大人は何を思うかというと、今、川添さんがおっしゃったように、人物だったら胴体とか、あるいは手足がちゃんと描けてるかとか、鼻はあるか、眉毛はあるかとか、そういう表面に描かれた絵の話になっちゃうんですよね。

川添 はい。

竹井 まず大前提としてね、いい絵って一体何なんだって考えたときに、それは表面的に、何か写実的に描かれた絵を意味するのではなくて、その子自身の思いとか願いとか考えとかね、そういうものが絵を通して込められてるかどうかっていう、そこが一番大事なことなんじゃないかなと思うんです。

「表現」ってなんだということを考えたら、私たちは例えば電話をかけたりメールをしたり、人に話したりするとき、言いたいことがあるから表現行為というのが成立しますよね。

川添 はい。

竹井 絵を描くのも全く同じで、さらに言葉が十分でない幼児の場合には、言葉に勝る表現のメディアというのが絵ということになるんです。だからその表現を通じて子どもたちの思いが、いかにそこに表れてるかどうかっていうことが、いい絵かどうかっていうことがポイントになってくる。

幼児の話をしましたけれども、例えば2歳半から3歳半ぐらいまでの中で、人物表現は、一般的にはまるく描いて、お母さん方もよくご存知じゃないかなと思うんですけれども、真ん中に目玉らしきもの、口らしきもの、丸いお団子のところから手足がちょんちょんと出てるやつ。これは頭と足の人って書いて、「頭足人」っていうんです。

川添 うちの子も描いてました(笑)

竹井 これは幼児の最も素敵な時代の表現なんですね。今まで(螺旋状の)グルグル丸を描いていた子どもが、閉じられた丸を描くことによって、その閉じられた丸の内側と外側の世界、丸に意味づけが始まってくるんです。丸ひとつ描いてね、これはお母さん、先生、お父さん、場合によったらそうだな、自動車とか、海とか地球とか宇宙とかもね、丸ひとつで表しちゃうんです。

川添 ええ。

竹井 こんなことを考えると子どもは天才だなというふうに思うんだけど。そんなふうにして子どもは、丸とか点を駆使しながら自分の思いを語っていくわけです。で、そういう中で少しずつ、自分にとっての思いを語るときに(成長に応じて)、ジワジワと胴体とか手足が出ていったりするんです。

面白い例があります。ある女の子、エミちゃんっていう女の子がいてね。その子は頭足人表現、頭と足による人の表現ばっかりだったんです。でもある時からですね、胴体が出た。

川添 おおー。

竹井 どうして出たかというと、『わたしのワンピース』という絵本があるんですが、エミちゃんがその絵本、好きだったんです。その中で、草の実模様のワンピースっていうのが、中でも大好きなシーンだったんですね。

それをエミちゃんは描きたいんだけれど、ワンピースを描くためには、どうしても頭足人表現では言い表せないですよね。だからその思いを描くために、エミちゃんの頭足人表現から、胴体が描かれてワンピースが出来上がったんです。

川添 へえー(感心)

竹井 だから胴体というのは描けばいいんじゃなくて、何か子ども自身が自分の言いたい思いとか願いとかを考え、そういうものを表現したいために胴体が出ていくという、そういうプロセスになっていくわけなんです。だから、子どもの発達の進度はいろいろあるんです。

多少、1年ぐらい例えば頭足人表現になっていても、ポイントは、その頭足人表現の中で、その子自身がどんな思いとか願いが語られているか、それが大事だと思います。

別の2歳半の子どもの絵で、丸を描いて「わたし」って描いて、その周りに何重も丸を描いている絵があったんです。これ、何を表現したと思います?

川添 何だろう…。

竹井 真ん中にね、私が描かれてます。その周りに何重もの円が描かれてるんですよ。

川添 その周りに何重もですか。

竹井 はい、そうです。その円には、何を描いたと思います。

川添 何だろう…保育園とか幼稚園とかに通ってたら、お友達とか?

竹井 なるほどお友達。(円は)自分の周りに描いたんです。その子にその園の先生が聞いてみた。そうしたら、寒いときにお母さんが「服をいっぱい着とかないと寒いよ」っていうことで、「お母さんが服いっぱい着せてくれてん」ってその子が言ったんです。こんな表現どう思いますか。頭足人表現で比較的幼い感じなんだけども、そこに何重も円を描くことで、お母さんのその子に対する愛情みたいなものが、丸で表現されてるわけです。これね、素晴らしいと思いませんか?

川添 すごいですね。丸ひとつで。

竹井 そうですよね!丸ひとつの中でね。

それが、本当の「表現」ということなんじゃないかなって。だからいくら胴体を描いて、首を描いても、棒人間みたいな感じで何の思いもないような表現をしてしまったら、それはやっぱりその子のためにならないんじゃないかなって。

だから、(子どもの表現を理解しようとするとき)ぜひあんまり周りのことを気にせずに、その子自身の豊かさとか、どういうことを伝えたいのかなって、そういうところをぜひ見てあげていただいて、聞いてあげてもらって、ああすごい素敵だね、っていうことで表現を受け止めていただけたらいいのと違うかなと思うんです。

川添 そうなんですか。その表面的な絵から勝手に判断するんじゃなくて、込められた思いとかを、ちゃんと会話を持って。

竹井 そうです、そうです。それが大事ですよね。(園で壁などに)飾られたら(ほかの子の絵と子どもの絵を比べて)なんとなく違うなと思うんだけど、ちょっと焦るんだけど、それは親の問題だけであって、子ども自身はそんなの何も思ってないですよね。

川添 そうですよね。

竹井 それはきっちり絵の中身を評価してあげたらいいんじゃないかなと思うんです。

川添 あと、絵を描くときの色の使い方もちょっと話題になったりするときがあって。

竹井 よくありますね。

川添 暗い色を使ってる絵ばっかり描いていると、ちょっとメンタル的にどうなのかとか、そういう話も聞いたりするんですけれど。色の使い方の観点からいくと、どういうふうに。

竹井 よくそういうこともあるんです。心理学の中でそういう要素はないわけじゃないんだけど、でも多くの場合、あんまり心配しなくていいかなと思います。例えば、太陽を緑色に描いてしまったり、リンゴをその青色に描いたりって、よくある話なんです。

ある女の子が黒色のパスを使って、家の絵を黒一色で塗り固めたんですね。これは園の先生が“これはちょっと”と心配して、お母さんに聞いてみたわけです。そうすると、なぜその色を使ったかっていうことがわかったんですね。実はそのお母さんが、黒色家電が大好きだったんですね。

川添 家電(笑)

竹井 はい。だから家の中、冷蔵庫とか全部、黒色が多かったらしいんですよ。だからその子にとって安心できる家庭の色っていうのが、実は黒だったということです。

川添 なるほど。

竹井 だから黒を(たくさん絵に)使っているから、これは問題あるんだっていう、そういう発想にならなくてもいいかなと思うんです。

川添 そうなんですね。さっきのエミちゃんのお話と今の黒のお話で、今本当にふと思い出したんですけど、私の子どもも、いっとき黒がすごい好きで、塗り絵も全部黒で塗りつぶしたりとか、いわゆる無地の画用紙に自分で好きな絵を描くときに黒で描いていた時期があって、大丈夫かなって、ちょっと本当に思ったりしたことあったんですけれど、思い当たったことが一つあって。

竹井 はい。

川添 やっぱり絵本なんですよ。『くれよんのくろくん』という絵本。

竹井 あぁ、ありますね。

川添 いろんな色のクレヨンで、黒以外のクレヨンたちが真っ白い画用紙に楽しく絵を描き始めたのに、黒だけ「君はいらないよ」って最初に言われて仲間はずれにされたけれど、最終的には(黒クレヨンの)くろくんが画用紙いっぱいに全部色を塗りつぶした後に、シャープペンのお兄さんが来て。

竹井 そうです。すごい素敵な画面が出来上がる。

川添 最後、きれいな花火の絵が出来上がるっていう、あれがすごい好きで。

竹井 スクラッチ(ひっかき絵)というやつですね。

川添 たしかにその絵本がすごい好きでよく読んでたときに、黒を多用して描いていたなっていうのが、本当に今、お話を聞いて思い出したんで。たしかに色の使い方ってあんまり気にしなくていいのかなというか。それって勝手に大人がイメージしていること、黒とか暗い色っていうのはよくないだったりとか暗いだったりとか、大人の勝手なイメージなだけであって、それを子どもに押し付けるっていうのは、きっとそれは違うんだな、って。

竹井 そういうことはありますよね。

川添 すごく思い出しました。

竹井 色の使い方で、たくさん使えばそれに越したことはないんだけれど、でもその子自身にとって本当に使いたい色、その色を使うっていうのがやっぱり大事じゃないかなと思うんです。

例えば、お母さんと帰っていった夕焼けの色がものすごい素敵だったぁって。例えば茜色に染まってる、そのときの感じを表現したいってなったときには、その子にとってその色を表現するっていうことの意味というのはものすごく大きいじゃないですか。

川添 そうですね。

竹井 それは生きた色になるわけですよね。だから何でもかんでも色を使えばいいっていうのは、全然違う話かなと思っていて。表現するって、それをする中で本当にその子自身が言いたい思い、願いの中で色とか形っていうものが表現されないと、その子にとってあんまり意味のない仕事なんじゃないかなって思うんですよね。

まあ大人は(たくさんの色を使うと)その時は喜ぶかもしれないけれども、でも子どもにとったら、(それを楽しみながらやっていない限りは)なんとなく親の顔色とか先生の顔色を見てやっている、人生の無駄遣いっていう感じにならないとも限らない。そんな感じがしますよね。

だから、「それ本当にあんた使いたかったの?」って。そんな感じの追求しながらやっていくほうがいいんじゃないかなっていう気がしますよね。

川添 ありがとうございます。とにかく、絵を見た目だけで大人が勝手に判断しないっていう。

竹井 もう一つだけね、ちょっと言っておきたいことがあるんです。

よく小学校の先生とか幼児教育の先生に、例えば5歳児は、描画材は何を使ったらいいですかとか、小学校行ったら何を使ったらいいですかって。絵の具でいいですかとか、あるいはパスでいいですかって。そんなことを聞かれることが多いんです。これは実は今の話からの発展でいうと、その子自身が何を表現したいかということと連動して、どんな描画材を使ったほうがいいかってことが決まると思うんです。

例えば先ほどの茜色の空を描きたいなら、例えばサインペンとかパスとか使ってたらその茜色を描けないじゃないですか。描きにくい。ゴシゴシしてやればできるんだけど、それにしたってその8色とか12色しかないので描きにくい。そうするとそこに何が出てくるといいかっていうと、やっぱり絵の具の特性っていうものが空の色を表すのにいいですよね。

逆に、男の子でクワガタ好きな子どもを考えてみてください。そうするとクワガタをやっぱり描きたいという子どもはね、どちらかというとクワガタの角のギザギザしたメカニックな感じ、足の感じ、そんなものに結構興味を持ってたりすることが多いんです。

それを描くためには、例えば絵の具で描こうと思ったら、太筆でそんなもの描けないじゃないですか。

川添 うーん、そうですね。

竹井 やっぱり自分の言いたいもの(表現したいもの)を描くためには、例えばサインペンであったり色鉛筆であったりという、細いもので描いていくということがあるじゃないですか。なので、先ほどの話に戻るとね、「何歳でどんな描画材があったらいいですか」という話は、これは子ども自身が何を描きたいんですか、それに合わせて、あるときは色鉛筆の方がいいかもしれないし、あるときは絵の具の方がいいかもしれないし、あるときはパスの方がいいかもしれないし、という。

教育現場で何十人の子どもを対応しているときに、あれこれの描画材を使うのはやっぱり難しいというか、そういうことはあると思うんです。なので、ご家庭でその辺を補完していくような形で、こんなことが描きたいっていうようなことがわかれば、そういう(描きたいものに合った)描画材をお子さんに提供して、じゃあ一緒に描いてみようかって。その時もやっぱり一緒ですよね。お母さん下手やなーって言われながら(笑)

川添 描かれへんわーって(笑)

竹井 やってもらったらいいんじゃないかなと思います。子どものストレスもハードルも下がってきて、自分の素敵な感性がね、またその中に表現されるんじゃないかなというふうに思うんですね。

川添 さっきの、「クワガタを描きたい」となって画材を渡すときに、色は全部種類は揃っていて、親の側が「じゃあこのサインペンで描きなさい」っていう言い方なのか、それともこれだけあって、「サインペンがいいんじゃない」っていう提案なのか、自由に好きなの使っていいよっていうふうな、どのコミュニケーションのあり方になるのか。

竹井 親ができることとしたら、例えばサインペンがあったらサインペンでちょっと遊んでみようかって。なんか面白い線ができるよね、細いよねって。
そういうことを子どもと一緒にやりながら、楽しんで描画材の特性をわかるっていう。そういう話の中で子どもがクワガタ描きたいって言ったら、そしたら何使おうか。子どもがじゃあサインペン使おうみたいな。ああ、これだったら何か細かく描けるよねっていう話に繋げていくといいんじゃないかなと思うんです。

だから「これで描きなさい」とか、「この中から使って」っていうのも、それもやっぱりちょっと違うかなっていう感じがいたしますね。

川添 なるほど、ありがとうございます。とにかくもう、子どもの声をちゃんと聞こうという姿勢がやっぱり親の方が必ず持たないといけないことだなっていうふうに。

竹井 ぜひそうしていただいたら。絵だけ「見て」もわからないときはね、「聞い」たらいいんですよ。

川添 そうですね。

竹井 大抵、(子どもの)言ってることとその描かれてることが違うんでね。違うけど、「ああそうなの、すごいね」って言って、褒めてあげてください。子どももその気になってどんどん、どんどんやりながら、なんかキラッと光るものがそこに出てくれば、万々歳というふうに考えていただいたらいいんじゃないかなと思います。

川添 はい。

竹井 絵が描けなくても、それ以外に例えば身体表現とか、あるいは音楽表現とか、得意な表現の方法でもって自分の思いを表現していけばいいので。あんまり絵を描けないからということで悩んだりストレスがかかると、逆にそのことが自分の表現に向かうエネルギーを閉じちゃう可能性があるので、楽しめばいいかなというふうに捉えていただいたらいいかなと思います。

川添 ありがとうございます。今回は絵、絵画についてメインでお話をお伺いしましたけれども、次回、最終回は、先生が今、研究開発などにも携わられている土ですね。土遊びをテーマにしてお話を伺っていきたいと思っておりますので、また次回もよろしくお願いいたします。

竹井 はい、よろしくお願いいたします。