#4 土を触ることで「幸せ力」が育まれる!?【竹井 史】
最終回は土遊びがテーマ。質感の異なる土に触れることは、子どもの成長に大切なことなのだそう。詳しくお話をお聞きするとともに、土に触れ合う機会が減った今、土遊びや泥遊びに変わる体験についても教えていただきました。
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川添 前回に引き続き、「感性を育む親子のものづくり」をテーマにお話をお伺いするのは、現代社会学部現代こども学科教授で美術教育学がご専門の竹井史先生です。本日もここ京都にあります同志社女子大学のキャンパス内からお送りしていきます。それでは先生、よろしくお願いいたします。
竹井 はい、よろしくお願いいたします。
川添 いよいよ最終回になりました。
竹井 そうですね、あっという間に最終回になりました。
川添 これまでのエピソードでは、主に室内での遊びですね。工作だったり、絵を描くということについてお聞きしてきたんですけれども、最終回は外遊びについて。特に先生がご専門にされている研究の中で、土遊び、土の開発にも今取り組んでおられるとお伺いしているので、そのあたりのことからお伺いしていきたいなと思っております。
竹井 はい。1回目の時に言いましたけれども「スーパークレイ」っていう、子どもたちが造形的な遊びをしたり、感触遊びをしたり、そんなことに使える土を開発、研究をしています。
川添 「スーパークレイ」というのは、どういう…。
竹井 名前、かっこいいでしょ。
川添 本当に(笑)。宇宙を想起させるような感じの。
竹井 これは1回目のときにも言いましたように、水をたくさん入れると、えも言われぬようなニュルニュル(とした触感)の気持ちいい泥になって、水が減ってくると可塑性という、形をつくることができていく。で、硬くなっても子どもの力で割れるという。(乾燥して硬くなっても)水をかけたらまた同じような遊びができる、そういう特性を持った土なんですね。
何がスーパークレイに入っているのかっていう話なんですけれども。運動場にあるような砂、土の粒度、それがいろいろブレンドされているんですね。川添さん、土と砂の違いってわかりますか。
川添 それを今、伺おうと思っていたんですよ(笑)。砂場は砂ですよね。改めて土遊びとか土って聞いたときに、砂よりも土の方が水分量は多いのかな、なんとなくネットリしているほうに近いのかなっていう、そこまではイメージできるんですけれど。砂と土のそもそもの違いっていうのは、ちょっとよくわからないな、と。
竹井 なるほど。ざっくり言うと、土というものの中に、砂があるんです。粒度という粒の大きさね、それでいうと土の中で一番小さいのは、粘土の粒子なんです(※)。
※粘土は、物理的に細かいだけでなく、細かい土が熱や微生物などにより化学的に変成作用を受け、細かい層状になって独特の特徴を持ったもの(竹井先生)
川添 はい。
竹井 粘土の粒子っていうのは、粒径2ミクロンよりも小さいと言われているんです。ミクロンっていうのは1ミリの1000分の1。だいたいタバコの煙ぐらい。それが粘土の粒子と言われてるんです。
川添 へえー。
竹井 だからものすごく小さいわけです。実はその粘土がね、ものすごく大きな意味を持っているんです。ちょっと話が派生するけれど、たとえば川添さんがお化粧されているときのファンデーション、あるいは胃薬、そんな中にも粘土が含まれているんですよ。
川添 ああー、そうなんですか。
竹井 だから粘土っていうのは、人間には欠くことのできない素材ということは言えるんです。話はまた元に戻りまして、一番細かい土の粒子が粘土で、そこからどんどん、どんどん粒子が大きくなっていって、土と言えるのは直径で言うと2ミリぐらいの礫(れき)と言われる、その辺までの混合物。
川添 はい。
竹井 (土に含まれる)物質はいろいろあるんです。鉄とか銅とか、いろんなものが含まれているんだけど、粒度でいうと、大体2ミリぐらいまでの粒度の混合物を、土と言います。で、ちょうどその真ん中あたりの細かい部分が、皆さんがよくご存知のサラサラとしたやつ、あれを砂っていいます。だから砂っていうのは土の一部なんですよ。
川添 一部なんですね。
竹井 そんなふうに理解していただいたらいいかな、と思います。
川添 なるほど。土遊びっていうのを改めて思ったときに、私自身が小さいときに、土遊びってどれくらいしたかなっていうのは…。思い起こしても、お砂場でちょっと水を入れてちょっと泥のダンゴを作ってみるとか、その程度しか経験がないのかなっていうふうに思って。今、親になった目線で「子どもが土遊びとかをしたりするのかな」と考えても、あんまり子どもからも保育園でやったとかを聞かないし、地元の公園とかに連れて行っても、そもそも砂場があるところがちょっと減ってきていたりする。
竹井 なるほど、なるほど。
川添 砂場に行っても、水がないからそのまま遊んでいるとか、そんな感じだったりするので、土遊びというのを経験する機会がないなっていう。
竹井 ないですよね。幼児教育の中では1840年かな、フレーベルという人が幼稚園をつくったんですけれども、その人がね、砂場っていう環境をその後(およそ7年後に)つくったんです。そこから砂場の歴史はあるわけなんです。日本に輸入されて(日本でも)砂場というものが(幼児教育の中で)つくられていってという経過があって。かたや土場(=つちば)っていうのは、一度もそういう制度化がされてないわけですよ。
子どもたちは砂場で遊ぶかたわら、土をいろいろ探しながら、「ここの土はなかなか粘りがあっていいよね。お団子を作って、硬いお団子ができて転がすことができるし、上から落としてそれでどれが硬いお団子かどうかやってみよう」みたいなね。(制度化がされていない分)だいぶサブカルチャー的な領域なんですね。
私は砂場のステキさと同時に、土場のステキさもわかってもらいたい。ついては、じゃあどんな土場が子どもたちにとって一番いいのかっていうことを研究していて、今はレーザー分析とか、あるいは含水比という土の中にどれぐらい水が含まれているかとかを、電子顕微鏡とか実体顕微鏡を見ながら、子どもにとって一番ステキな、土遊びができる土場を考えていると、そこに入れるのがスーパークレイっていうやつなんですね。
川添 なるほど。今、そのスーパークレイの開発途中だと思うんですけれど、実際にそれが開発されて、子どもに土遊びの環境っていうのをつくっていく、子どもに与えていくということで、先生は子どもにどういう影響があると考えていらっしゃいますか。
竹井 土遊びは自然の遊びの一部ですよね。それで、たとえば土を使ってお団子を作ろうと子どもが考えたときに、それは感性が働いて、作ろうというふうに思っているんだけど、水を入れすぎたらベチャベチャになってしまうじゃないですか。水が少な過ぎると今度はひび割れてくるんですよね。
そもそもお団子ができない土環境っていうのがダメで、それがスーパークレイの開発の元になってるんですけど。要は、そういう土遊びのできる環境の中で、子どもはさまざまなことを学んでいくわけです。子どもたちがお団子を作りたい、ドーナツを作りたいと思ったら、それなりの土を探してきて、その中にどれぐらい水を加えたらいいのかっていうことを学ぶわけですよ。
ちょうどいい具合になったとき、たとえばお団子ができる、気持ちのいいニュルニュル遊びができるっていうことになるわけです。そこで、子どもたちの学びがどう生かされているかというと、まず自分自身が砂という、あるいは土という自然に寄り添うというのかな、土の特性を理解するわけですよね。
川添 そうですね。
竹井 特性を生かすことによって、土という自然は子どもの自己実現に応えてくれるわけなんです。自然環境は全てそういうことだと思うんだけれども、自分が本当にそれを使って遊ぼうと、関わろうとしたときに、自然が子どもたちに寄り添ってくれるわけじゃないですよね。まず自分が自然という環境の中に寄り添う。この場合は土ですけれども、その中で土の特性を理解する。
川添 はい。
竹井 理解することによって、子どもの自己実現に応えてくれるんだっていう、そういうインタラクティブな関係がそこに生まれてくる。これを考えていくと、人間の環境に対する関わり方の原体験になるんじゃないかなと思うんです。
だから、人間っていうのは自分自身が、よく生きよう、ステキに生きよう、自然環境と共存して生きようと思った時に、自然環境のあり方を無視して、そういうふうには生きられないですよね。自然の良さを理解して、自然環境の特性を生かして、その中で自己実現できるような生き方というのを、やっていかなくちゃいけない。そういうことを、たとえば泥んこ遊び、土遊びというのは教えてくれるんじゃないかなというふうに思うんです。
もうちょっと発展させて言うと、それは生きる上で基本問題というふうに考えているんです、土遊びというのをね。じゃあ応用問題はなんだと思います?
川添 応用問題、なんだろう。
竹井 応用問題はね、実は自然環境の中にいる人間です。人間と人間との関わりっていうのが一番難しい応用問題ですよね。
川添 ああ、そうですねぇ。
竹井 ですから人間同士、豊かに関わっていくためには、やっぱり自分の言いたいことばっかり言っていてもダメで、相手の気持ちとか思いとかに寄り添う。
川添 はい。
竹井 そういうことをやりながら、その中に自分の思いを加えていくというのかな。そこでお互いが、交流できるんじゃないかなと。だからまず、ものを言わない自然から学びながら、その中で自己実現を存分にやってもらいたいと思うんですね。
川添 土遊び一つが人間との関わりまで。すごく奥深い話ですよね。
竹井 そこまではちょっと考え過ぎかもわからないけどね。
川添 でも今お話を聞いて、すごくスッと心に、腑に落ちるところがありました。
竹井 そうですか、ありがとうございます。そのもう少し手前の話でいうと、子ども自身が遊べるためには、自然、土に対して寄り添わなイカンと。その中で水をどれぐらい入れるとか、手の力をどれぐらい加えていったらいいのかという話の中で、身体性を伴った科学的な関心というか、学び。そういうものもその中に実現される。そういうことが出てくるかなと思うんですね。
川添 土だから、触った感じというのが。
竹井 そうなんですよ、触覚なんですよね。今、どんどん、どんどん触覚が人間の生活から失われてきているような気がしてならないんです。
小学校の図画工作科の資質・能力…図画工作科の中で何を学ぶのかっていうことが明確化され、その中で「色や形など」という言い方をされていて、そういう意味ではとても良かったんですけれども。そこで懸念材料として、触覚的な要素っていうものがちょっと潜っちゃうというのかな。もう少し触覚の要素っていうものをクローズアップして、子どもたちの遊びとか表現の中に取りこんでいかなくちゃいけないと思ってるんです。それができるのは、やっぱり幼児教育のところかなぁと。もちろん小学校でもそれを意識してやればいいと思うんだけれど。
川添 親の立場から、普段の生活の中や子どもとの関わりの中で、触れる、触覚ということを念頭に置いて、ちょっと気をつければできるとか、そういったことってあったりするんですか。
竹井 いろいろできるかなと思うんですけれども、家の中ってツルツルのものとか、人工物が多いじゃないですか。そういう中で、本当に自然物に触れるとか、物を見たり考えたりするときに、まず触りながら考えるとかね。そういう経験というのが、どうしても必要かなと思う。子どもたちというのは、触って認識するということが、ものすごく多いと思うんです。
これは事物を理解するときの原点の部分になるんです。ある研究者は、「子どもたちというのは、触覚を通じて物事を理解するというのが全体の4割ぐらい。見て、そして触って理解するものも入れると全体の7割ぐらいを(触覚・視覚で)認識をしてる」というふうに言われてるんですよ。できるだけ、ものを考えるときには触るという身体性を伴った中で、考えたり理解したりっていうことが、とても大事かなと思うんです。
川添 たとえばですけれど、親が子どものことを理解するためにいろいろ会話やコミュニケーションを取ったりとか、(そういった)日常生活の中で気をつけながら(できること)があると思うんですけれど。お話ししたりするときに、ちょっと手を触ってみるとか。
竹井 ああ、いいですねぇ。
川添 そういうのを意識するだけでも、やっぱり違うものなんですか。
竹井 そうです。一緒にお風呂に入ったり、プールに入ったり、手を繋いだり。そういう中で、お母さんに握ってもらった手のぬくもりとか柔らかさとかね、そういうものって子どもは忘れないんじゃないかなと思うんです。動物園を見に行ったら、見るだけじゃなくて、一緒に触ろうかとか。こう触って、「なんかゴツゴツしてるね」とか、「気持ち悪いね」とか、「なんかにおいが臭いね」とか言いながら、五感を最大限に、センサーを発揮しながら物事を認識するっていう、そういうことが大事なんじゃないかなって思うんですね。
川添 今回のテーマの第1回のときだったと思うんですけれど、感性を育むっていうことが、知性を育むことに繋がるっていう先生のお言葉があったと思います。
竹井 感性そのものが大事であると同時に、(感性を大切にすることが)知性を発達させるための前提になる条件なんだっていう考え方ですね。
川添 前提条件ということですね。この4回にわたってお話をお伺いしてきたことを通してですけれども。改めて最後に先生のほうから、親子での関わりと遊びというところに関してメッセージをいただけたら、すごくうれしいです。
竹井 遊びというのは私たちが考えてる以上に、子どもの知性を発達させる、そういうことがあるんじゃないかなと思うんです。
ただそのときに、たとえばテレビゲーム。それは悪いわけじゃないんです。ただ、そっち側に偏ってしまうとバランスが崩れちゃうので、身体、つまり五感ですよね。いろんな感覚器官を駆使して遊べるような砂遊び。たとえば家の中でテレビゲームばっかりしてる子どもがいたら外に行って遊ぼうって。たこ揚げをしながら、たこ糸を通じて風のメッセージが伝わるような遊びをしたり。逆に外遊びばっかりしてる子どもはちょっと家に入って、ちょっとテレビゲームでもしたら、って(笑)。そういうこともあるかも知れないと思うんですね、そういうバランスのとれた遊びを存分にやる中で。
あとね、受け身の遊びだけじゃなくて、やっぱり自分自身から進んで遊びを作っていくような遊び。だからそういう意味では、手作りのおもちゃを作ったり、自然に対して働きかけたりというね、あるいは自分でルールを決めていったりと、そういうことはとても大事なんじゃないかなと思うんですね。
川添 はい。
竹井 それともう一つ。今回言っていたのは、大体子どもの表現に関わる問題なんです。そしてね、お父さん、お母さん、現場の先生方っていうのは、子どもの表現されたものに対してちょっと一喜一憂しすぎなのかなと。
どうしても日本の教育の現場というのは、全てを子どもたちに経験させていくっていう、そういう意味での良さはあるんです。でも、それは全てが均等にできないといけないっていうわけではなくて、その中でその子自身のふさわしい表現のメディアというものを探していこうと。それぐらいの発想で受け止めていただいたらいいんじゃないかなと。
たとえば絵を描けなかったら、本当に描けないかどうかっていうのは前回言ったようなことで、繰り返し子どもにアクセスしてもらいたいんですけども、本当にそれが好きでなかったら、別に絵を描かなくても死にはしないしね(笑)
音楽が得意だったら音楽をやったらいいだろうし、あるいは身体性が伴って、体を動かすことは得意だったらそっち側で表現していってもいいかなと思うんです。
だから要は、自分にとってふさわしい表現行為をする中で、自分の思いを語りながら、その中で人々と関わっていって、お父さんお母さん、友達と関わっていって、その中で楽しく生きていくというのかな、そういう中で子どもたちの幸せというのが、なるべくマックスになるような、そういう生き方をしていくということが本当(に必要なこと)なんじゃないかなと思うんです。
目先にいろいろ気になることはあるんだけれど、それをする中で子ども自身が本当に喜んで、楽しんで、心から喜んでいるのかなって。そういうことに気をつけていただいて、本当に心から喜んでいるような遊びを見つけてもらいたいなと思います。で、やっぱね、一緒に遊んでもらえたらいいなというふうに思います。
川添 ありがとうございます。親になったというだけで、やっぱり“きっちりしないと”って思い過ぎちゃう部分も。
竹井 そうですね、気持ちが張りますもんね。普段、親がぐうたらな生活してても(笑)、子どものことになるとね、 “ちゃんとしなイカンな”と思っちゃうんですよね。
川添 そうですね(笑)。そうじゃなくて、とにかく1人の人間(子ども)と、親も一緒に楽しむ、一緒に関わるだったり。
竹井 充実してほしいですよね、その瞬間をね。
川添 そういうことなんですね。子どもの遊び、親子での遊びというテーマがこれだけ奥深いものかっていうことを、この4回のエピソードをお聞きして、すごく感じました。ありがとうございました。
竹井 ありがとうございました。
川添 これまで4回にわたって「感性を育む親子のものづくり」をテーマに竹井史先生にお話をお伺いしてきました。改めまして先生、どうもありがとうございました。
竹井 ありがとうございました。楽しく表現していきましょう。
川添 はい、ありがとうございました。