現代につながる『源氏物語』の世界

現代につながる『源氏物語』の世界

大津 直子

表象文化学部 日本語日本文学科 准教授

#1 研究者を惹きつける『源氏物語』の魅力【大津 直子】

これまでにも多くの人が研究してきた『源氏物語』を、大津先生はどのような視点で、読み解いているのでしょうか。古典や歴史でおなじみの『源氏物語』を復習しながら、奥深い物語の世界をお楽しみください。

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川添 今回は、表象文化学部日本語日本文学科准教授で、平安文学がご専門の大津直子先生に、「現代につながる『源氏物語』の世界」をテーマにお話を伺います。全4回にわたって、ここ京都にあります、同志社女子大学のキャンパス内からお送りしていきます。それでは先生、よろしくお願いいたします。

大津 よろしくお願いします。大津です。

川添 先生は『源氏物語』を中心とする平安文学を専門にされているということで、今回からの全4回、この番組では『源氏物語』をテーマにお話を伺っていこうと思っております。2024年の1月から放送が開始しているNHKの大河ドラマ『光る君へ』でも、作者の紫式部が主人公ということで、『源氏物語』もまた注目されてきているのかな、という印象もあります。

私自身もドラマにすごくはまって、毎週欠かさず見ているんですけれど、ドラマを見ながらフト思い返すと、案外、学生時代の授業で習ったことすらも、もう忘れてしまっていて、ドラマを見ていても知らないことが多すぎて、ちょっと戸惑ったりしながら見ているような現状もあります。今回せっかく大津先生にお話を伺うということなので、まずは1回目、本日に関しては基礎知識ということで、『源氏物語』がどんなお話なのか、ギュッと凝縮してお聞きしていくところから始めたいと思います。先生よろしくお願いいたします。

大津 よろしくお願いします。『源氏物語』は54巻で構成されています。そして正編と続編という形で、大きくわかれています。正編とされるのが光源氏を中心とした物語、続編というのが光源氏の末裔(まつえい)たちがどうなったかという物語なんです。

われわれは『源氏物語』というと、光源氏を主人公とするから『源氏物語』というんだろうと考えがちなんですけれど、実は後半の13巻は、光源氏は死んでるという。

川添 そうなんですね。

大津 ですので光源氏が主人公と言ってしまっていいかどうか、ちょっと考える必要があるかなと思います。(続編で)有名なのは『宇治十帖』と呼ばれるもので、「帖」というのは「巻(まき)」と同じで数える単位なんですけど。最後10巻分が「宇治十帖」といって、それがすごくグループとしては有名ですよね。

(源氏物語そのものは)およそ70年の時間が流れる物語で、4人の帝が登場する超長編作品ということができると思います。

川添 そうなんですね。長編というそこだけは知ってたんですけれども。まさか最後、光源氏が出てこない、死んでしまった後のことも書かれているとか、そんなことすら今初めて知ったような感じで、お話伺っていました。

有名な作品なので、多くの研究者の方々が、本当にいろいろな切り口で研究されていると思うんですけれども。その中で大津先生はどのような視点から、『源氏物語』を研究されているんでしょうか?

大津 『源氏物語』は、歴史の中で古典作品の中でもすごく重んじられてきた作品でもありますので、実際の歴史と物語の記述がどのように重なるかという視点や、和歌の世界への影響ですとか、和歌の世界からの影響ですとか、さまざまな形で展開されてきました。私はそういった厚い研究史の中でも、(物語において)今までよくわからないとされてきた箇所を見つけて、そこにどんな表現の意味があるのかということを考えながら研究を続けてきたところがあります。

現代人の感覚だと説明がつかない、例えば物語には「こうなので、こうなのだ」という描写がしばしば出てきます。しかし現代人からすると、どういう因果関係があるのかわからない。そういうところを、当時の感覚をできるだけ手繰り寄せるような感じで調べて、論文を書いてきました。

川添 当時の感覚というのは、その時代の社会的な情景だったり、その時代に生きた人々、男性も女性もあると思うんですけれど、人々の感情的な部分だったりとか、そういうものを読み解きながらというようなイメージなんですか?

大津 具体的な例を挙げますと、例えば『伊勢物語』に、「足ずりをして泣けどもかひなし」という原文があります。「足をすって(=地団駄をふんで)泣いたけれども、(その)甲斐がなかった」。大切な女性が亡くなってしまった、失ってしまったという箇所に出てくるんですけれど、「足ずりをして泣いた。それなのに甲斐がなかった」。現代人からすると、足ずりをして、甲斐があるほうが怖いですよね。足をすって死んだ女の人があの世から戻ってきたら、怖いじゃないですか。(ここに当時の人々固有の感覚が存在しています)足ずりというのが何かしらの呪術行為だった、だからこそ、その行為をしたのに甲斐がなかった、という論理が成り立つわけです。そういうところとか、すごくおもしろいと思います。

足ずりについて私自身は論文を書いているわけではないですけれど、(現代人からすると「何で?」という例では)そういう箇所ですね。古典文学には当時の因習とか俗信とか、そういうものがはらみこまれている。当時はそれを共有しているので、(作品の中では)説明がないです。なので、ここにはどういう論理があるんだろう?と考えなくてはならないところが、私は結構おもしろいと思っています。

川添 うーん、なるほど。今のお話聞いて、すごい記憶がよみがえったんですけれど。この番組で吉海直人先生にお話をお聞きしたときに、言わなくても当たり前のレベルで物事が書かれている、描写されているっていう箇所がたくさんあるんだよ、というお話をたしかにされてたなって、今すごく記憶がよみがえりました。

大津 新型コロナウイルスで、われわれはマスクの生活をずっとしていましたけれど、それは私たちの世代からすると、マスクをしてるのは当たり前ですよね。今の時代のテレビ番組がのちのち古典として残ったとして 、500年後の研究者とかが、今のテレビ番組を研究したときに「なんでマスクをしてるんだろう」(二人笑)。「何のために、この時代の番組はこんなにみんながマスクをしているのか」って。それが新型コロナウイルスというものが当時はあって、マスクをしてるか、していないかで大体どれくらいの時期の番組なのかが推定できるっていうことが、論文になるかもしれない。

川添 なるほど。

大津 だから、われわれからすると当たり前のことが未来の研究者には検証すべきテーマとなる。『源氏物語』と同時代の人がもし自分の論文を見て「何当たり前のこと書いてるの?」って思ってくれるような、そういう論文がいっぱい書けていたらいいなって思います。

川添 へぇ、おもしろい。そういうお話、例で聞くと、なるほどと思いました。ありがとうございます。先生、その他に「谷崎源氏」の研究ということも、キーワードとして挙げていただけるのかと思うんですけど、このあたりはいかがですか。

大津 「谷崎源氏」は正直申しまして、学生やゼミの子たちからは「先生は谷崎源氏の話をしてるときが一番楽しそう」って言われます。ちょっと簡単にお話しますと、作家が『源氏物語』を訳すっていうことが、現在も繰り返されてると思うんですね。

誰かの訳が一個あるからいいっていうわけではなくて、最近ですと角田光代さんが源氏訳をされていると思うんですけれども、画期というか、ほぼ最初のほうに出版されたのが谷崎源氏です。谷崎源氏は3種類存在していまして、最初の訳と2つ目の訳の間の違いが非常に大きいので、それに関心を持って研究しています。

川添 なるほど。「谷崎源氏」といきなり言ってしまいましたけど、谷崎潤一郎という小説家が書かれた『源氏物語』の訳ということですよね。私は今回、大津先生にお話をお伺いするまで、谷崎潤一郎という小説家が、『源氏物語』の訳をしていたというのを、実は知らなかったので、そういうことがあるんだっていうのはちょっと驚きだったんですけれども。学生さんが見られても一番楽しそうにお話をされるという部分なので、この番組の全4回の4回目に改めて、また詳しくお話を伺っていきたいなと思っております。

大津 あともう一つ付け加えるとすると、翻訳というまなざしというか、視点で見た場合に、(谷崎が源氏訳を思い立った時期、訳業は)作家の仕事としては創作よりも下に置かれることが多かったんです。だから、なんで谷崎が創作の時間を割いてまで、源氏訳を繰り返したかっていうのがすごく私の中では疑問でして。そんなお話も(4回目で)触れられたらいいなと思っています。

川添 そうか、創作ということは、ご自身が1本小説をイチから、ゼロから書くということに比べて……。

大津 比べて、ですね。文壇における訳業の位置付けも低かったですし、作家の仕事としてあんまり認められていなかったということもあります。

川添 そのあたりはぜひ4回目のときにお話をまた伺いたいなと思ってます。次回以降の話にもちょっとつながっていくんですけれども、物語の中で使われている言葉なんかで、現代でも使われているけど、平安時代では別のニュアンスで使っていた言葉も多くあると先生からはチラッとお聞きしてたんですけれども、そのあたりはどうですか。

大津 そうですね、「思ひ上がる」という言葉なんかが該当するんですけれど。今、現代語で「思い上がったやつだ」って言うと、「調子にのっている」とか、そういう意味で、あんまりいい意味で使わないんですが、平安時代、女性たちが「思ひ上がる」ことは「プライドを高く持つ」という意味です。(『源氏物語』の)「桐壺の巻」の冒頭にも、「われこそはと思って入内(じゅだい)してくるお后たちが思い上がる」という描写があります。それは現代語とは少しニュアンスが違いますね。

だから、自分の生まれた出自というか、自分の人生をしっかり切り開いていく上での、重要なメンタリティに繋がる表現ですね。

川添 そうなんですね。そういった言葉が他にもいろいろあるということなので、次回から、2回目、3回目のエピソードでは、そういった言葉をキーワードにしながら、『源氏物語』の世界にさらに触れていけたらいいかなというふうに思ってますので、今回はいったんこれで収めさせていただいて、また次回以降、先生にはお話を伺っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

大津 よろしくお願いします。

川添 本日はありがとうございました。