大人になった今、知っておきたい生活と法

大人になった今、知っておきたい生活と法

谷 直之

現代社会学部 社会システム学科 教授

#4 尊厳死を刑法から考える【谷 直之】

身内や自身の“これから”を考えたときに、避けて通れないのが死。苦しみたくない、苦しませたくない、周囲に迷惑をかけたくない。さまざまな思いが交錯するものの、死には法制度かかわってきます。海外の尊厳死、安楽死の法制度を研究する谷先生に、お話を伺いました。

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川添 前回に引き続き、現代社会学部社会システム学科教授で、刑法、刑事訴訟法がご専門の谷直之先生に、「大人になった今、知っておきたい生活と法」をテーマにお話を伺います。本日もここ京都にあります、同志社女子大学のキャンパス内からお送りしていきます。それでは先生、よろしくお願いいたします。

 よろしくお願いします。

川添 今回(谷先生の番組が)最終回になりました。これまで法律や刑罰が、私たちの日常と隣り合わせで、さらに社会の変化によっていろいろ改正がされてきたことを教えていただきました。昨年度にも改正があったということを、先ほどちょっと雑談の中でお聞きしたので、そのあたりから聞いてもいいですか。

 そうですね。前回2017年に110年ぶりに刑法の性犯罪規定が変わったという話をしたばかりなんですけれども、2023年にさらにこの性犯罪の規定が変わっています。従来から強制性交等罪だとか強制わいせつ罪の手段が、抵抗できないぐらいの暴力や脅し、これがないといけないという要件になっていたんです。けれども、法改正の直後にも実の親から性的虐待を受けていた、不同意、嫌だったんだけれども、暴力が振るわれていなかったから無罪だという判例がいくつか出まして、それへの批判が高まったことなどを受けて、現在は2023年の法改正によって、不同意性交等罪、不同意わいせつ罪という犯罪に変わってます。

今までは抵抗できない暴力などが必要だったんですけれども、これからは例えばアルコールの影響だとか、虐待だとか、あとは頭が真っ白になって抵抗できないという状態に乗じてだとか、立場を利用して言うことを聞かせる、このような場合の性行為だとかわいせつ行為、これも犯罪になったんです。それから性交同意年齢というんですけれども、今までは「13歳の相手がOKと言ったから」ということで犯罪にならなかったんですけれども、それが16歳に引き上げられたので、そういった小さな子、「14歳、15歳の子がいいと言ったから犯罪じゃないんだ」みたいな言い訳は通用しないとか、さまざまな変更がなされています。その後、撮影罪というのができまして、性的なところで写真を撮ったりするという事態が犯罪となって、これは結構、今でもかなり検挙されている犯罪かと思います。これからは恋人同士の間でも、キスをするにしても相手の同意を得ないと犯罪になるのだという、そういう意識を持たないといけない時代になってきたのかなという印象を持ってます。

川添 よくドラマなんかで見かけるような、ちょっといい雰囲気のっていうことは法に触れる可能性があるという。

 可能性があるということですね。ヨーロッパなどではアプリがあって、これからキスしますとか、これから肩を抱きますというのをアプリに登録してからじゃないと、キスもできない告白もできないみたいな。それが日本にもやってくるのかなということで、少女漫画の世界、ドラマの世界の多くが犯罪になるな、という感覚を持っています。

川添 そうなんですね。本当にめまぐるしく変わっているということがよくわかるお話でした。ありがとうございます。ということで、今回で先生にお話を聞くのは最終回なんですけれども、この最終回は谷先生が研究対象とされている、ご専門とされている中で、尊厳死とか安楽死への議論、法制度についてお伺いをしていきたいと思っているところです。命とか医療の倫理と刑事法の関係をテーマにされているということなんですよね。こういったテーマで研究を進められるようになったきっかけだとか、理由みたいなところからお伺いしてもよろしいですか。

 そうですね。私たちはどれだけ偉くなってお金持ちになって成功しても、人間以上になるわけでもないし、逆に失敗して貧乏になったりとか、貧困の中であえいだとしても、人間の尊厳は奪われない、人間以下になるわけでもなく、どこまでいっても人間なので、その人間の命についてもうちょっとしっかり考えてもいいのかな、特に日本では議論があまりなされないので、議論してもいいのかな、というところが発端になります。特にこの生命倫理の倫理、人として何が正しいかという議論もあまりなされなかったりして、まして法の対応が遅れている分野なのかなというところもあって、研究に選んだところです。

川添 日本ではあまり議論されないというところで、そういえば私自身も身近な人とあまり命のことというのか、そういう話って、思い返せばすることは…ほとんどないなって。

 そうですね。特に命の終わりのときは、どうしても死という問題ですので、日本では「言霊(ことだま)」というのが広く信じられていて、「縁起でもないことを言っちゃうと本当になるんだよ」みたいなところがあったりするんでしょうね。やっぱりこの死に関しては、タブー視するところが強いのかなと、「縁起でもない、やめとき」という形で。最近なって終活とか、ようやく少し大きな声で言える、みんなが議論できるようになってきたのかなと思うんですけれども、諸外国に比べるとまだまだ、この人間の医療の現場の最終的な決定などもそうなんですけれども、尊厳死、安楽死などについてもあまり議論されない、できないのかなというのは思っております。

川添 そうですね。今、尊厳死、安楽死という言葉も出てきましたので、その辺りも含めて伺っていきたいのですが、尊厳死と安楽死って、どう違うのかというところから、すみません、改めてお伺いしたいところです。

 誰もが死ぬ、亡くなるわけですけれども、死ぬときに安楽に死ねるような道を選ぶというのは広く安楽死といいます。例えば病気とかの苦痛を取り除けないというような場合に、死ぬことが唯一の苦痛から解放される道みたいなときに、人為的、人の手で死期を早めて最後を迎えさせるというようなあたりが、積極的安楽死と呼ばれるものです。命をつないでいる延命治療を止めたりするというのが消極的安楽死。そして尊厳死と日本で呼ばれてるのは、消極的安楽死の一種類になります。

生命維持治療を、本人の意思に基づいてやめるというところなんですけれども、安楽死と違うところは、安楽死は要件として、「今」本人が判断して、「今」殺してくれと要請する、やめてくれというように、「今」の意思に基づいて、リアルタイムで相手に要請する、求められるのが安楽死。尊厳死はそれができない状態、例えば植物状態と言われる遷延性意識障害の状態で、もう今は頼めないんだけれども、前もって「こうなったらよろしくね」というふうにお願いしておく。その意思に基づいて延命治療をしなかったり、始めたものをやめたりして自然に死を迎えさせるというのが尊厳死と呼ばれるものになります。

川添 これは日本では、今は認められていない、でよかったんですよね。

 どちらも法律で正式に認める、「こうなったら、これは犯罪にしないよ」みたいなものが何も決まってないので、刑法202条に同意殺人罪、自殺関与罪という犯罪類型があるんですけれども、本人が殺してくれと言っても殺したら犯罪になりますよ、自殺を手助けしても犯罪になりますよと決まっていますので、安楽死、尊厳死はそちらのほうに抵触する恐れがあります。

川添 そうですか。日本ではそうなんですけれども、諸外国の状況というのはいかがですか。

 尊厳死に関してはもう50年ぐらい前に、先進国ではほとんどの国が尊厳死、「こういう場合には本人の意思に基づいて医療を中断しても、刑事責任、民事責任は問いませんよ」という法整備が、ほぼ全ての国でなされています。ないのは本当に先進国で日本ぐらいかなと思いますね。

川添 そうなんですか。

 安楽死に関してはそれほど多くはないんですけれども、徐々に徐々に増えている。法で安楽死を認めるこういうような手続きに基づけば、犯罪には問いませんという国が増えている状態にあります。

川添 なぜ日本ではそういう議論があまり進まないんでしょうか。個別にいろいろな考えがあってまとまらないというそれだけの話なのか、何か諸外国と文化的な違いというのはいろいろあるんでしょうか。

 そうですね、やはり一番肝心なのは死については結構微妙なところなので、タブー視というか、あまり家族の中でも話をしていないし、表立った議論もなかなかはばかられるというようなところがあるのかなと感じてはいます。

川添 宗教のような文化なども関係するものですか。

 宗教に基づいて安楽死、尊厳死と言っているところもありますけれども、それよりは命というものについて、命の終わり方については、やはり表立ってなかなか議論したくないとか、しないという日本の文化みたいなものがあるのかなと感じています。

川添 そうなんですね。実際、法整備をしていこうという動き自体はあるものなんでしょうか。

 動き自体は数十年前からあるんですけれども、なかなか本格的に動き始めないというところですね。

川添 そうなんですね。これは年齢によらずですけれど、いつ死ぬかわからないというか、命が絶えるかわからないというのが現実問題としてあるけれど、でも、私自身のことを考えても、死ぬということはあんまり考えたくないというか、どちらかというと、生きていかないといけないという意識のほうがやはりどうしても強くなってしまいます。そういう意味でタブー視してるつもりはないんだけれど、死ぬということだったり、死に向き合うということに、あまり意識が向かないなと普段から思いつつ、でも私の世代とかになると、やはり親がだんだん年もとってきて高齢化していって。寿命ということを考えると、そろそろ、そういうことも考え出さないといけなかったりとか、親の意思はどうなんだろうということもちょっと気になり始める時期にあるので、実は身の回りでも、こういう話をしたいと思ってる人って多かったりするのかなって、何となくイメージしたりもします。

 そうですね。なかなか話をする機会もないし、誰かに相談したり、したいなって思ってる方は結構いらっしゃると思います。それから日本の社会がこれからどんどん多死社会になってきますので、日常的に死と向き合わなくてはいけないという社会になってきています。なので今までみたいに、何となくというふうにはいかないのかなと個人的には感じているところです。

川添 そうですね。今の日本では実際、例えばですけれど尊厳死だったり、安楽死ということが行われたとしたら、法的にはどういうふうに取り扱われるんでしょうか。

 特に尊厳死などは治療の中断ということですので、本人の意思に基づいてご家族が納得したらというところで中断して、医療界でもそれが妥当だろうということになれば、表沙汰になることはないので、それが妥当なところだということで、わざわざ法が介入する必要もない、医療現場の常識というか、倫理観に基づいて行われていれば問題ないという認識とは思われます。ただ安楽死については、積極的安楽死ですね、人の命を奪うというところについては、やはり医療現場でも拒否反応が強くあります。京都でのALSの患者さんが元医師によって殺されたというか嘱託殺人事件と言われていますけれど、こういった大きな事件があると意識が高まって議論は一時的に盛り上がるんですけれども、なかなか法改正とか法の制定というところまではいかないというのが現状なのかなと思われますね。

川添 そうでしたね、京都の嘱託殺人は非常に注目されて、各種メディアでも報道されていたので見聞きした記憶はありますけれども、今後先生から見られて、日本でこういう議論というのは続いていくと思われますか。

 先ほど申し上げた多死社会に突入していきますし、それから多くの人が病院で死を迎える、最後、医療にかかって亡くなる方がほとんどだという現実からすれば、避けて通れない議論なのかなと思っています。あまりタブー視せずに、少なくとも家族の間で、自分はどうしてもらいたいということはしっかりと話をしておかないと、見送る側にしても納得いかないことになるんだろうとは思います。

今回の京都のALS嘱託殺人事件も、インターネットで殺してほしいということを、過去の時点で依頼をしていたんだろうとは思うんですけれども、それが問題になるのは薬物が注入されたその時点で意思確認をちゃんとしたのか、本人が前にお願いしたけれども、今もお願いするという意思があったのか、そのあたりの確認がちゃんとなされていたのか、ALSの難病の患者さんだから死にたいと思っても当たり前だろうみたいな感じで、そこがいいかげんになるような社会だと、ちょっと安心できないなと思ったりします。一方で最後は楽に迎えたいっていう思いはあるんだろうと。昔からね、ピンピンコロリといって神社仏閣などに参ってお願いする、元気でいても最期はコロッと死ねるようにってそれ自体が多くの人の望みなんだろうと思います。そういった線からも決してわがままとか、悪い考えではないと、安楽に死にたいと思うことはみんなが思うことなんでしょうけれど、それがなかなか今難しいんですよ、法の縛りの中では難しいんだよという認識をまずは持っていただいた上で、どうあるのがいいんだろうかという議論を、まずはスタートするというのが大事なのかなと考えています。

川添 法の分野だけではなく医療だったり、福祉の分野と一緒に検討していくとか、一緒に議論するというのが必然なのかなというふうにも思いました。

 そうですね。福祉だとか医療が充実していれば死なずに済むという場合もあったりします。今多くの声を聞いていると、周りに迷惑をかけたくない、特に経済的に負担をかけたくないという思いで安楽死を選ぶというような話も聞きます。けれど医療だとか福祉が充実していれば、まだ生きてていいと思えるという場合があり得ますので、そのあたりは医療、福祉も含めて、人の命に対して日本という社会はどういう社会であるべきかという議論を進めてもらいたいなと感じています。

川添 ありがとうございます。なかなか普段こういったお話を、誰かとしたり自分自身で考えたりということがないので、今日はすごく勉強になりました。ありがとうございます。今回で(谷先生の番組が)最後になりますので、先生がこれから注力されていきたい研究などについても少しお話お伺いできたらと思いますが、いかがですか。

 研究面では、諸外国でどんどんと安楽死を法的に認める、その要件もかなり変わってきているという現実があるので、それを念頭に置きながら日本で安楽死というのが認められるのかどうか、そのときの要件はどうなのか。例えば死期の切迫という要件が必要だとされているんですけれども、こういったことをゼミで学生とかに言っています。私が不治の病で、もう体が苦痛、病気の苦痛が取り除けない、ものすごく痛いとします。そこで「あなたは10年生きられますよ」と言われ、「9年と11ヶ月と29日ぐらい待ってください、苦しんでください。そうしたら死期が切迫することになるので、安楽死が認められますって言われるのはおかしくない?」と学生に聞くんです。カナダの例では、この死期の切迫のような要件はいらないと最高裁が判断を示して、それは不平等だという判断を示して法改正がなされた。そういった議論なども参考にしながら、安楽死が認められたとすると、どういう要件で認めるべきなんだろうか、そのあたりのところの議論について研究したいと考えています。

川添 ありがとうございます。全4回にわたって法律のことについてお話をお伺いしてきました。大人になった今だから知っておきたいと思えたことが、たくさんお話としてお聞きすることができて非常に勉強になりました。どうもありがとうございました。

 ありがとうございました。