#2 花から育まれた日本の美意識【吉海 直人】
“平安時代と花”という言葉には、絵巻物を連想させる華麗で雅な印象があります。では実際に、花はどのような表現で古典文学に登場するのでしょうか。古典の花や美的表現から、日本の美意識を探ります。高校の授業で習った作品も登場。授業では習わなかった、平安時代の言葉のトレンドがわかりますよ。
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※色付き部分
は古典の引用です
川添 前回に引き続き、「京都旅のおともにしたい、古典文学」をテーマにお話をお伺いするのは、表象文化学部日本語日本文学科特任教授(※)で、平安時代の文学がご専門の吉海直人先生です。本日もここ京都にあります、同志社女子大学のキャンパス内からお送りしていきます。吉海先生、よろしくお願いいたします。
※収録時。2024年4月現在、同志社女子大学名誉教授。
吉海 よろしくお願いします。
川添 今日はまず、「日本の美意識と花」というテーマで、『枕草子』からご紹介くださるということですけれど、こちらは清少納言の随筆ということと、冒頭が「春はあけぼの」から始まるというくらいの記憶なんですが、先生の方からご紹介をお願いできますでしょうか。
吉海 みなさんも古文で、『枕草子』初段を習ったかと思います。まず、初段の冒頭を少しだけ読んでみます。「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく、山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」
(文末※1)。
「春はあけぼの」と聞いて、みなさんは、『枕草子』には平安時代の美意識が綴られていると思っていませんか? 実はそれは、大きな間違いでした。平安時代の四季の美は、『古今集』の歌に詠まれている風物を基本としているからです。
川添 『古今集』というのは、『古今和歌集』のことですか?
吉海 はい、そうです。平安時代、最初に作られた勅撰集ということで、美意識のお手本になっています。
春の景物としては、梅、ウグイス、桜、霞などがあげられます。秋は萩、紅葉、菊、女郎花(おみなえし)などですね。それにもかかわらず、『枕草子』初段には、そういったおなじみの景物が、一切あげられていません。あるにしても、ただ「あけぼの」という時間帯があげられているだけなのです。
月は秋の景物ですけれども、『枕草子』では夏になっています。これも変ですよね。ですから、『枕草子』の初段を耳にして、“なるほど”と思ってはいけません。おそらく当時の読者は、むしろ奇妙だと思ったに違いないからです。
川添 そうなんですね。奇妙というのは、どんな点が当てはまるのでしょうか。
吉海 考えてみてください。仮に「あけぼの」が春の景物としてすでに認められていたとしたら、清少納言は当たり前のことを提示したにすぎません。それでは宮廷で評価、賞賛されるはずもありませんよね。清少納言の手柄にはならないわけです、となると『枕草子』は決して、当時の伝統的な美意識を集成した「平安時代美意識辞典」ではなかったことがわかります。むしろ、当時の一般的な美意識とは異なっていたからこそ、人々の注目を浴びたのではないでしょうか。
川添 そうですね。
吉海 特に「あけぼの」というのは珍しい言葉で、それ以前の作品にはほとんど使われていません。ですから、どの程度の明るさなのかもはっきりしていないのです。まして、歌に詠まれるような言葉ではありませんでした。『古今集』以下の勅撰集にも用例がありません。『枕草子』にしても、初段にたった1回出てくるだけなのです。
川添 そうだったんですね。
吉海 ところがおもしろいことに、(『枕草子』より後に書かれた)『源氏物語』では、なんと「あけぼの」が14回も出てきます。
川添 『源氏物語』は、いわゆる紫式部の長編物語ですよね。昔習った記憶で、清少納言と紫式部ってライバル関係だったと聞いたような記憶も、うっすら残ってるんですけど。
吉海 はい、そうですね。ただし、ライバルというのは、少し考えた方がいいかもしれません。
川添 そうなんですか。
吉海 紫式部にとって『枕草子』は、意識せざるを得ない作品でした。ここも『源氏物語』が『枕草子』の「あけぼの」に真っ先に、しかも強く反応していると思ってください。特に、『源氏物語』の野分の巻では、強風によって屏風が片付けられていたので、ひさしの間に座っている紫の上を夕霧が垣間見て、衝撃を受ける場面があります。
その美しさは、「見通しあらはなる廂の御座にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す」
と形容されています。におう(にほふ)というのは、照り輝くような美しさのことです。
この「春の曙」こそは、『枕草子』初段を踏まえているのです。その上で、紫の上の美しさを、春の景物である桜や霞と取り合わせています。ここは「春の曙」が美的景物に昇華した瞬間だと言えます。言い換えれば、『源氏物語』の描写があって、初めて『枕草子』も再評価されることになるわけです。
川添 なるほど。
吉海 先ほどのライバルの件ですけれども、ご承知のように、紫式部は『紫式部日記』の中で、清少納言の悪口を、「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいたらぬこと多かり」
云々(文末※2)と、辛辣に書いています。得意顔をして偉そうにして、利口ぶっているくせに、足りないところがある。その行く末はろくなことがない、とけなしています。
川添 なかなかの辛辣ぶりですね(笑)
吉海 ここから高校では、よく2人は仲の悪いライバルのように説明されているわけです。みなさんも、そう習っているはずです。
川添 はい。
吉海 しかし2人の出仕時期は、ずれています。後宮で同時期に2人がいあわせたことは一切ありません。
川添 そうだったんですね。
吉海 清少納言が去った後で、紫式部は出仕しているのですから、並び立ったライバルではなくて、一方的に紫式部が攻撃している、というわけです。
川添 (笑)。なるほど……。
吉海 では、なぜ攻撃しているかということですけれども、それはむしろ、紫式部が『枕草子』をよく読んで、そこから多くのことを学んでいる。清少納言を意識し、清少納言を乗り越えざるを得ない、そのことの裏返しだとも言えます。
川添 相手の実力みたいなところを、ちょっと認めざるを得ないようなところもあったんでしょうかね。
吉海 はい。この「曙」だけではなくて、みなさんが古文で習った『源氏物語』の夕顔も同様です。実は『枕草子』が最初に夕顔を取り上げました。(さまざまな草花を取り上げる)六五段(※)の「草の花は」は「なでしこ」から始まっているんですけども、(夕顔については)比較的長く「夕顔は、花のかたちもあさがほに似て、言ひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそいとくちをしけれ、など、さはた生ひ出でけむ。ぬかづきなどいふ物のやうにだにあれかし。されど、なほ夕顔と言ふ名ばかりはをかし」
と描写しています。
※小学館『新編日本古典文学全集』より。ほか、本によって章段分けが異なります
朝顔と夕顔は似ていますが、朝顔は秋の七草の一つですし、歌にも詠まれていました。それに対して夕顔は花が大きいですね。大きい花は美しいとは、当時、思われていませんでした。元々観賞用の花ではなかったので、貴族の前栽、庭にも植えられることはありませんでした。歌にも詠まれていません。むしろ庶民の食用、これ(=夕顔)はかんぴょうだとも言われています。だから清少納言も、実については否定的であり、その名前しか評価できていません。
川添 (興味深く)へぇ……。
吉海 その夕顔を、紫式部は『源氏物語』の中で、はかないヒロインの人生と重ね合わせて造形しているのです。夕顔の巻では、源氏の目を通して、「切懸だつ物に、いと青やかなる葛の心地よげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉ひらけたる。『をちかた人にもの申す』と独りごちたまふを、御随身ついゐて、『かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になん咲きはべりける』と申す。げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、この面かの面あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまなどに這ひまつはれたるを、『口惜しの花の契りや、一房折りてまゐれ』とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る」
と、詳しく描写されています。
切懸(きりかけ)というのは板塀のことです。貴族の屋敷は築地(ついじ=土塀)ですから、これは身分の低い人の家だとわかります。
その板塀に夕顔が絡みつくように、生えかかっています。「笑みの眉ひらけたる」とは、花が咲いていることを比喩的に言っていることです。清少納言は夕顔の実をけなしましたが、紫式部はみすぼらしい家に咲いている夕顔の花に対して、「口惜しの花の契りや」としています。身分が卑しいこと、花が短命であることを踏まえて、新たに夕顔という名のはかないヒロインを誕生させたわけです。これもこれまでにない、ニューヒロイン誕生の瞬間でした。それまで美的でなかった夕顔を美的なものに昇華させ、ヒロインとして恋物語を展開させる。それこそが、紫式部の斬新さとだと言えます。ここも夕顔が美的な花に昇華した瞬間でした。
これに実は『徒然草』が反応しまして、第十九段に「六月の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり」
と記しています。
この(『源氏物語』にある)曙にせよ、夕顔にせよ、紫式部が見出したのではなく、清少納言が先に『枕草子』に書いているのですから、(清少納言への)悪口は、紫式部の悔しさの裏返しだったかもしれません。
川添 そうですね。単純にライバル関係だった、ということだけでは済まされないような物語が奥に潜んでいるという感じで、改めて奥深さみたいなのを感じますね。
吉海 はい。ぜひそういう目で、『枕草子』や『源氏物語』を見てほしいと思います。
ところで『古今集』に詠まれている美的な花として、梅、桜、朝顔、萩、菊、紅葉などがあげられます。平安時代に歌に詠まれている花ですから、みなさんは全て日本古来の花、昔から日本にあった国産の花だと思ってはいませんか?
川添 そうですね。なじみの深い花々という印象がありますね。
吉海 ところが、梅や朝顔、菊は外来植物でした。古く、中国から漢方薬として日本にもたらされたものだったのです。そのことを理解するために、漢字の読みを考えてください。
梅は音読みが“ばい”で、訓読みが“うめ”と思っている人が多いんですけれども、どうも、梅も音読みの“めい”がなまったもののようです。それは菊も同じで、“きく”以外の読み方がありません。“きく”も訓読みのように思えますが、これも音読みから変化したものと言えます。
川添 そうだったんですね。
吉海 梅は間違いなく、奈良時代に中国から入ってきました。貴重なものだったので、大切に育てられています。それに対して桜は国産だったので、庭に植えられることもありません。野山に自生していました。
そのため『万葉集』では、梅の方が桜の3倍も歌に詠まれています。平安時代になっても嵯峨天皇という人は、中国好きだったこともあって、梅の尊重が続いています。その象徴として、内裏の紫宸殿(ししんでん=正殿)に“左近の梅”として植えられました。
みなさんがご存知なのは、“左近の桜”ですよね。実は最初は梅だったんですね。それが仁明天皇、多分850年頃だと思いますけれども、桜に植え替えられて、今日にいたっています。もちろん現在の御所は里内裏ですから、本当の御所があったところ、神泉苑(=平安京最古の遺跡)のあるところですけれども、ずっと西にあります。同志社女子大学(今出川キャンパス)の南側、道を隔てた向こう側に(京都)御苑があります。
これも誤解してる人がいるのですけれども、全体は御所ではなくて、御苑です。その中に御所があります。こんなに御所に近い大学は、ほかにありません。春には、紫宸殿の桜が満開のときに見学することができます。京都に桜の名所はいくらでもありますけれども、紫宸殿の桜は格別です。古典を学ぶ人にとって、こんな贅沢なことはありません。
川添 そうですね。
吉海 今回は『枕草子』初段の曙に注目して、それ(=曙)が『源氏物語』で、紫の上の美しさを表現する言葉として使われていること、また『枕草子』の夕顔が、『源氏物語』でヒロインの象徴として、美的に使われていることをお話しました。
古典は(作品)それぞれが決して独立している、孤立しているのではなく、相互に関わっており、何を踏まえているかを読み取るのも、また、古典を読む楽しみだと思います。
川添 ありがとうございます。本日のお話を伺って、これほどまでに、いろんな作品が密接に関わり合ってる、繋がっているというのを初めて発見したところでした。ありがとうございました。
本日は「京都旅のおともにしたい、古典文学」をテーマに、吉海直人先生にお伺いいたしました。次回は、「葵祭と『源氏物語』」についてお話を伺っていきたいと思います。先生、本日はありがとうございました。次回もよろしくお願いいたします。
※1 『枕草子』初段 トークで取り上げた部分を含む引用
春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく、山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ、螢のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。
※2 『紫式部日記』の引用 トークで取り上げた部分を含む引用
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこめる人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。