#3 音楽療法の「療法」を紐解く【北脇 歩】
音楽療法という言葉は、“音楽”の部分に意識が向きがちです。そこで今回は“療法”の部分をクローズアップ。医療現場での臨床をふまえて、自分をケアするために大切にしたいことをお聞きしました。
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川添 前回に引き続き、「音楽療法士がおくる、自分を大切にするための処方箋」をテーマにお話をお伺いするのは、学芸学部音楽学科准教授で音楽療法がご専門の北脇歩先生です。本日もここ京都にあります、同志社女子大学のキャンパス内からお送りしていきます。それでは先生、よろしくお願いいたします。
北脇 よろしくお願いします。
川添 初回と2回目まで、音楽療法士というお仕事は、どのようなご専門家なのかということや、音楽が心と体にどのようにはたらいていくのかということについてお伺いしてきました。今回はその音楽療法という言葉の中で、「療法」ということにフォーカスしてお話をお聞きしていきたいと思います。
北脇先生は臨床の現場で、音楽療法士というご職業でも、専門家としてご活躍でいらっしゃいますけれども、そういった現場では、音楽以外のところで、どのようなサポートを実際にされているのでしょうか?
北脇 そうですね。元々、自分自身は終末期、要はもう治療方法がない、あとはその人生を全うしていく方と、その周辺の家族の方のサポートとケアに携わっていました。今もリハビリテーション病院で実践しているんですけれども、そこで特に自分が関わらせてもらうのは、難病であるとか、脳卒中で倒れられた方で、いわゆるこれまでとは違う自分と向かい合わなきゃいけない、というところに立たされた方々のケアに携わっています。
川添 はい。
北脇 あとは、その難病の方で、言ってみれば長期の終末期、治療方法がないので、あと何年かわからないけれども、そこで暮らしていく、生きていくということに対して、「どういう支援ができるかな」というところ。一言で言うと、もちろん音楽は使うんですけれど、私はいます、(必要としている人の)そこに。寄り添うというのが、一番適した言葉なのかなと思います。
川添 そうなんですね。
北脇 正直に言うと、われわれも何ができるかわからないんです。わからないから知りたい、というところはあって。なので、その都度その都度、(同じ人でも新しい姿に)出会いますし、終末期という現場を経験してると、先週のその人じゃないんです。
川添 ええ。
北脇 変わることもある。それは単に気分の場合もあれば、状況が変わってる場合もあるし、間に合わなかったこともあります。なので、毎回毎回、本当にその瞬間、瞬間に出会い直して、その人ともう1回話をして。もう1回出会っていくことなのかな、というふうには思ってます。
川添 なるほど。もし複数回、そういった出会いを重ねられるのであれば、その重ねていく中で、元には戻らないのかもしれないですけれども、少しでも、前進という言葉がいいんでしょうか、ちょっとわからないですが、少しでも何かが一つ前向きになれるような、そういったことをめざしていくようなイメージなんですか。
北脇 僕自身が本当に信じてるのは、人間は元々、自分で立ち上がる力とか生きていこうとする力を持っているはずなんです。それが結局抑えられるとか、自分で抑えてしまうとか、発揮できない状況っていうのが、いわゆるそういう状態だと思うんですね。
われわれは、まずその人の言葉を聴きますし、言葉にならなければ音楽を使います。ただ、やはり聴かないと支援の仕方がわからないので、相手からまず学ぶという姿勢かなと、思います。でも、学ばせてもらうためには、まず関係性というのも大事です。
川添 はい。
北脇 臨床の場では「ラポール」といいます。いわゆる信頼関係ってよく言われがちなんですけれど、実際は安心感とか、安全な気持ちであるとか。あと充足感とか、全部まとまったものがラポール。その人にとって安全な関係性とか、環境というものをセラピストとしてどれだけ促す、創ることができるか。その上で初めてセラピーが進んでいくという感じです。
なので、われわれは本当に、「とにかく教えてください」「学ばせてください、あなたのことを知りたいです」という、それを毎回、新たに、新たにやっているという感じが、一番わかりやすいのかなと思います。
川添 そうなんですね。そうですよね、だって私たち、一般に生活していても、初めて会う方に対しては、「この人は、一体どういう人なんだろう」ということだったり、2回、3回と回数を積み重ねたから勝手に信頼関係が築いていけるわけでもなくて。それがさらに、こういった臨床の場だと、もっと状況も違う中で積み上げていくのって、すごく難しいんだろうなと思いますね。
あと、先生から前回、前々回からずっとお話を聞いていく中で、時折、その対象の方と、そのご家族っていうお話が出てきて。「そうか、ご家族、周りの方もケアの対象になるんだ」というのは、今回お話を聞いて、初めて実感したところではありますね。
北脇 欧米では多分当たり前なのかもしれないんですけれど、日本はどうしても入院されてる間は、対象者というのは患者さんだけになるんです。でも、そこにご家族さんが一緒にいられると、例えば終末期の患者さんだと、最期のときを一緒に家族さんと過ごせるきっかけになるじゃないですか。
川添 はい。
北脇 そうすると、「あんなことを、しておけばよかった」みたいなことが少しずつ減るかもしれないし、ひょっとしたら意味とか、価値のある時間というものを、第三者として一緒に参加させてもらえて、一緒にその時間をもう一度創造していくというか、創っていくっていうことも多分できるのかな、というふうに思っています。
僕自身は家族を亡くしたので、そこは共感できます。でも、終末期で死が近づいている方というのは、僕自身まだ死んだことがないので亡くなる方の気持ちはわからないです。だから、わからない前提で、わかったようなことはしない。言わないし、だから知りたい、というスタンスで、家族さんの前にもいますし。なので、その空間を創って見守っているような状態かもしれないですね。だから言葉にならなきゃ、静かに音楽を鳴らしてるときもあります。
川添 へえー。
北脇 そのケースごとによって変わっていくかな、と思います。
川添 そうですよね。患者さんご本人が今まで当たり前のようにできていたことが、急に突然できなくなってしまうということは、ご本人はもちろん受け入れられない部分が大きいのかなと。
北脇 そうですね。
川添 それと、その方と同じ空間にいたり、同じ時間を過ごしているご家族であったり、その周りの方々にとっても、その患者さんが受け入れられていない様子を、また自分も受け入れられないとか。やっぱりそういうことってあるんだろうなと思います。そこで、私もあまり経験がないので言葉にしにくいですけど、受け入れられない気持ちだったり、どのくらい後悔という気持ちが出てくるのかなとか、全然想像つかないですが。それでも、そういうケア、そこに寄り添ってくださるような、何らかの手段を持った専門家の方が近くにいらっしゃるというのは、すごく心強いことなのじゃないかなと思います。
北脇 だから、「こんなことを、しておけばよかった」と悔やむというよりは、今この瞬間にどんな状況であっても、その状況にいる自分と対峙されるというか、自分ともう一回、向かい合うことの中で、新しい気づきというものを受けていかれるような促しというか、支援というか、見守りというか。そういうことを、その視点が切り替わる瞬間というのは大事にしていて。
これは(セラピーを受ける方だけでなく)われわれも、普段できるなら、(視点の切り替えは)やったほうがいいことなんですよね。捉え方の違いで、どんなちっちゃいことでも意味を見出していく生き方というか。お仕事終わったら、「あー、疲れた」って出てしまいません?
川添 出ます。すぐ出ます(笑)。
北脇 でも実際、疲れているんですよね。でも疲れているのは、多分頑張ったからなんですよね。だから(疲れたではなく)「頑張った」って言ったらいいんだと思うんです。だから「疲れた」っていうのも、「今日も頑張ったな」。頑張ったから、疲れてるという意味で。「頑張った」って言うだけで気分は変わるかも知れない。だからわかりやすい例というか、やりやすい例で言うとそれなのかなと思います。
あとは、僕が今、関わらせていただいている方の例で言うと、これ実際、家族さんがおっしゃった言葉で、ご家族の方はどこで話してもいいよって言ってくださっているのですが。
川添 はい。
北脇 (音楽療法の場で)その夫婦にとって懐かしい歌を、リクエストを受けて歌うと、懐かしい歌を通じて、思い出とかを語られるんです。「あのときこうだったよね」みたいな話をされるんですけれど、それって過去の話をしてるんですね。
川添 ああー。そうですね。
北脇 けれど、悪いことではないんです。ただ、そこからどういう転回、視点の転回が起こるかというと、実際に奥様がおっしゃったのは、「音楽というこの時間を通して、毎回、先生と一緒に新しい思い出を3人で更新しているんだなって気づいた。生きてるなって」。
川添 ああー。
北脇 「もうこの後、先はあんまりないんだ、長くないんだ」と、過去を振り返ってではなくて、「よく考えたら新しい経験を3人で更新してるってわかった、。生きてるって思う」とおっしゃったときが、多分、転回されたときで。
見守ってる場でそういう言葉が出たときに、「そうですね」と受け止めるというか。それは体験を通しての、家族さんの中の心の動きというか。そういったこともありました。
川添 そうですか。もう、前に進行しているというか、何か進む、進んでいるっていうことを。
北脇 そうですね。脳卒中で倒れた方も、そうなりたくてなったわけじゃないし、なることがわかっていたわけじゃない。
川添 はい。
北脇 でもそれは事実として受け止めて、そこからどう自分の力で退院後を生きていくかっていうところを、どこまで退院までに支援するかっていうところが、われわれの仕事になるというところですね。楽しい時間を病院の中でやるということではなくて、われわれは何て言うんですかね、退院された後の責任は負えません。ただ、ご本人が自分の力で生きる力を持ってらっしゃるって信じたい。
川添 そうですよね。
北脇 そういうことになります。
川添 そうですね。ありがとうございます。もう、ますます音楽療法士というお仕事について、セラピストって言って良いんですかね、療法という部分の大切さだったり、重きの置き方だったりとか、そのあたりが非常に初めに持っていたイメージからも、180度ガラッと変わったような気がしています。
北脇 視点が切り替わった。
川添 はい、変わりましたね。ありがとうございました。
北脇 ありがとうございます。
川添 次回が最終回になるんですけれども、次回は音楽も生き方も、自分らしくいようというようなことをテーマにして締めくくりたいなと思っております。またお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
北脇 よろしくお願いします。
川添 本日はありがとうございました。